「人=モノ扱い」と人的資本経営

元陸上選手の為末大氏が2022年4月、facebookに「他人を物的に扱う癖」がつく企業文化があるけれど、昨今は労働力化(労働する機械=物化)していた個が、人間であることを意識し始めており、他人を物ではなく人として見るようにしないと、時代の変化とともにいろんな問題が噴出するのではないか、と書いておられました(https://www.facebook.com/tamesue/posts/5204402672978571)

 

時代が「ヒト」を重視する方向へ変化としているのは間違いなく、2020年には経済産業省が「人的資本」を重視する「人的資本経営」に関する研究会を立ち上げています(人的資本経営 ~人材の価値を最大限に引き出す~ (METI/経済産業省)。

経済産業省の「○○資本経営」といえば、実は人的資本の前が「知的資本」だったんですよね。
2000年代に盛り上がり、その後、定着せずとも消え去ったとも言えない「知的資本経営」の遺物(?)としては、知的資産経営マニュアル(https://www.meti.go.jp/policy/intellectual_assets/pdf/00all.pdf)、「知的資産経営報告書」(知的資産経営報告書の開示事例 (METI/経済産業省)などがあります。

「知的資本経営」が盛り上がる前から盛り上がった後まで見てきた人間としては、「人的資本経営」は、「知的資本経営」をいろんな意味で「参考」にしてほしいと思っています。

 

と、話が少し逸れましたが、「人的資本経営」ブームの兆しが見える中、為末氏が指摘した「ヒトを物のように」扱ったまま、ヒトを物的に扱っているという自覚がないまま、カタチだけ「人的資本経営」やってます、となりそうな兆しもまた、垣間見えるように私は感じています。
先に挙げた「知的資産(資本)経営」も、2000年代初めからすでに20年以上、政府は推進していますが、なぜ知的資産経営が必要なのか、そもそも知的資産とはなんぞや?なぜ、重要なのか?という本質的な理解ができないまま、カタチだけやってる風をしてきた場合、「知的資産経営やってます」というポーズのために労力は割いているけれど、何のためにやってるのか、意味あるのかが分からないブルシットジョブにしかなってないように私は感じています。

 

また話が逸れてしまいましたが、人的資本経営もまた、人的資本とはなんぞや、なぜ、人的資本経営が必要なのかを腹落ちして理解しないままだと企業組織もヒトの価値も上がりはせず、「ヒトを物的」に扱ってるのにそのことに気づけないような人たちが「自分たちは仕事してます」ポーズをとるためのカタチだけ「やってます」になりそうだと感じています。

この、「カタチだけやってます」にならないようにしようと思うと、これらの「資産」を「資産」という「モノ」、「道具」として見るのではなく、自分の関わり方次第で価値が変わる「イキモノ」として「付き合う」経験が必要になるように私は感じているのですが、「モノ」扱いをしない、もっと言うと「モノ扱いしてる」ことを自覚すること自体、簡単ではありません。

「ヒトを物的に扱ってる側」は「ヒトを物的に見る」ということに無自覚であるということは為末氏も指摘されておられますが、私自身、「ヒトを物的」に扱ってることに無自覚でした。

私が自分が「ヒトを物的に扱っている」ことに気づいたのは、東京サラリーマン生活を終了して関西でフリーランスとして暮らすようになってからです。東京で暮らしていた頃の私は、所属組織の外でいろいろな方とお付き合いしたり、自分が興味を持つテーマのイベントに参加するなどしてさまざま情報を吸収し、また、提供していました。当時はいろんな人からいろんな情報をもらっていたので、自分が情報を出しているという自覚は薄く、情報のgive and takeが成立していたのだと思います。

しかし東京を出て所属コミュニティを持たない放浪者となったことで、情報が入ってこない状態になりました。このような状態で、東京式で情報交換している方々とお付き合いしていると、自分が「知りたい情報を提供する情報処理装置=Googleとかアレクサ?」のように扱われているように感じることがありました。

かくいう私も、「目的を共有する仲間」を、無自覚のうちにその人が持つ経験やスキル、つまりスペックで選んでいたので、自分がモノ扱いされたところで文句のいえた筋合いではありません。

それでも、自分が「モノ扱い」されたと感じた経験があって初めて自分も他者をモノ扱いしていたことを自覚し、その自覚を得たことで、私は自他が他者をモノ扱いするか否かにこれまでより気を付けるようになりました。

 

知的資産・情報資産であれ、人的資本(資産)であれ、値段が示されていない、そもそも値段をつける対象自体が判然としない「価値物」の価値は、受け手により価値(値段)はおろか、その存在自体が認知されたりされなかったりします。

東京にいた頃の私にとって情報は、そこここに溢れ、それゆえ、さしたる「価値物」だとは認識しておらず、私と情報交換する相手もまた、私を「情報」という価値物を蓄えた「モノ」視してはいなかったと思います。

けれども、地方で暮らすようになり「情報」が不足する中で情報の「価値」を意識し、自らは情報を求めて行動しても情報が得られないのに、私に情報を求めてくる相手は情報不足で困っている私に関心を寄せることなく、私の情報だけを求めて去っていく。この、「情報不足で困っている私に関心を向けず」「情報だけを求められる」と感じたことで、私は、自分がヒトとして扱われず、モノ扱いされると感じたのだと思います。

 

情報に限らず、善意、熱意、やる気、あるいは人脈や経験など「ヒトが創造し保有する価値」は、その人がそれを生み出した背景・理由があって生み出され、それを提供することにもまた、理由があります。

「人的資本経営」や「知的資本経営」が「当たり前」になり、見えない価値物が意識されるようになること自体は好ましいと私は思います。しかし、もし、それらの価値物が生み出され提供される背景・経緯・理由に関心を寄せることなく、その生み出された価値物だけを評価対象として計測し、その増減を競うのであれば、結局のところ、ヒトを情報ややる気、人脈などを製造する「モノ」扱いすることからは脱却できないのではないか、と考えてしまいます。

 

ヒトやモノや情報は、溢れれば溢れるほど、その一つ一つを丁寧に扱えなくなります。

人口減少の時代、「人的資本経営」を形式上、導入したとしても、ヒトを物として扱う癖が抜けない、気づけない企業や人に持続可能性は期待できないな、と思います。

パラダイムシフト(大変革)における「勝ち組」に求められるリスキミング(学び直し)

2022年4月16日に発生した、私と同世代(団塊ジュニア)で、マーケティング業界でご活躍されてきたという伊東正明氏の炎上事件。

 

4月22日には、タレントでエッセイストの小島慶子さんが、炎上事件を起こした伊東氏がご自身(&私)と同世代の「団塊ジュニア」であるという切り口から「勝ち組団塊ジュニア」について、思うところを書いておられます(「生娘シャブ漬け戦略」の伊東氏は「昭和の負のレガシー」を引き継いだ団塊ジュニア(webマガジン mi-mollet) - Yahoo!ニュース)。

記事によれば小島さんは、30代になった頃、①団塊ジュニアは人口が多いため、社会を変えられる可能性があり、②「上の世代は当たり前と思っているけれど、下の世代にとっては不都合だし、当たり前ではない」習慣や価値観を団塊ジュニア世代が変革できればいいな、と思っていたそうです。けれども、40代になるとメディアで「勝ち組」ともてはやされている同世代の男性たちが、弱者を嘲り切り捨てるような発言を繰り返すようになって残念に感じたそうです。

小島さんは、「格差社会の上澄みに入れた同世代の男性たちは、男社会の枠組みの中で既存の価値観に従っていればうまくいってしまった。だから、形の上では平成、令和と時代をリードしてきたように見えても、根本的な価値観は昭和の負のレガシーを引き継いでしまっている人が少なくないのではないか」と書いておられます。また、小島さんご自身が他者に敬意を払わない、他者の弱さを嘲るメディアの表現に毒されていることに気づいて、弱者を嘲笑うことを許容するかのようなメディアの「空気感」をご自身から抜き去るのには時間がかかったとも書いておられます。

 

この小島さんの記事を読んで、実は私自身、まったく無意識・無自覚のうちに「格差社会の上澄み」に入れてしまい、自分がいる「上澄み的」なコミュニティの基準で「劣る」人に敬意を払えないようになっていたという居心地の悪さを感じていました。

私は社会に出て以降、東京で働き、2000年代には当時の政策の一丁目一番地であった知財立国・科学技術立国政策を牽引する方々と偶然、知遇を得るようになりました。知遇を得た方々は、組織を超えて繋がる方々で、彼らも私自身も「勝ち組」であるという自覚はまったく、ありませんでした。

しかし東京でのサラリーマン生活に終止符を打ち、組織に属さない「名もなきフリーランス」として関西で暮らすうちに、東京にいた頃の自分は「勝ち組」といわれる人々の中でしか暮らしていなかったと気が付くに至りました。とはいえ私自身には、自分が勝ち組コミュニティにいる、同種同質の「狭い」コミュニティにいるという自覚がありませんでした。

東京にいた頃の私が暮らしていたコミュニティの「狭さ」については、作家のカズオ・イシグロ氏が以下のように説明しておられます(カズオ・イシグロ語る「感情優先社会」の危うさ | 読書 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース)。

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俗に言うリベラルアーツ系、あるいはインテリ系の人々は、実はとても狭い世界の中で暮らしています。東京からパリ、ロサンゼルスなどを飛び回ってあたかも国際的に暮らしていると思いがちですが、実はどこへ行っても自分と似たような人たちとしか会っていないのです。

私は最近妻とよく、地域を超える「横の旅行」ではなく、同じ通りに住んでいる人がどういう人かをもっと深く知る「縦の旅行」が私たちには必要なのではないか、と話しています。自分の近くに住んでいる人でさえ、私とはまったく違う世界に住んでいることがあり、そういう人たちのことこそ知るべきなのです。

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東京で暮らしていた頃、自分がインテリという自覚も薄く、所属組織の中は「家と職場」の外の世界すら知らない人も少なくない、というよりむしろ多数派だったことから、所属組織や住んでいる地域、育った土地も違う人たちと付き合っている自分は「いろんな世界」を知ってるつもりでした。

その「間違い」を知ったのは、大阪の郊外に住み同じ地域に住んでいる「本当にまったく違う世界」に住んでいる方々がどのように働き、どのように暮らし、何に興味を持ち、何をどのように感じているかを知ったことによります。

いろんな人がいる東京で、職場の外の付き合いを持ち、見聞を広めてきたつもりの自分は、結局のところ、自分の興味の範囲、自分が「わかる」範囲しか見てなかった、興味を持たなかったという事実に直面して初めて私は、恥ずかしながら自分の「無知」すら認知できてない自分を認知したのです。

まさに、ソクラテスの言う「無知の知」に至って初めて、自分が知らないことは無限にあり、であればこそなお、自分が「知らない」ことに真摯でなければならないと思うようになりました。つまり、どれだけ学び、知を増やしても完全はあり得ない、だからこそ、「自分はわかってる」と傲慢にならず、常に学び続けなければならないことを自覚するようになりました。

 

私自身にこうした経験があるため、伊東氏のご発言は非難されるべきものであると思う一方で、伊東氏の件を以て伊東氏を糾弾するより、人は誰でもすべてを知っているわけではなく、ゆえに間違う生き物であること、それゆえ学び続ける必要性を「自分ごと」として意識しようという動きを醸成できればと思います。

団塊ジュニアも50代となり、心身の衰えを感じる中で、ともすれば「勝ち組」といわれるような、しかるべき地位におられる方ほど「ここまで頑張ってきたのだから」と思って楽をしたくなる気持ちは、それこそ「自分ごと」として理解できます。

小島さんの記事を読んだ同じ日、脳科学者の中野信子氏と精神科医和田秀樹氏におる対談本の紹介記事を読みました(日本人は「世界一アタマが老化している」…中野信子と和田秀樹が警鐘を鳴らすワケ(中野信子,和田秀樹) | マネー現代 | 講談社)。

こちらの記事は前例踏襲だったり「専門性」の穴に閉じこもること、つまり「未知の領域」を知ろうとせず「自分がわかる範囲」に籠ることに警鐘を鳴らしています。

「すでに知ってることにだけ関心を示し、知らないことには無関心」については、またもや同じ日に読んだコンサルタントの安達裕哉氏のブログでも取り上げられていました(「知らない言葉をすぐに調べない」のは、社員失格だと言われていた。 | Books&Apps)。

さらに、4月27日付日本経済新聞経済教室には「分配と成長、高質な市場カギ」と題して、力が強い者が弱者を抑圧してはならないことが説かれています。同じ紙面の私見卓見では「集合的知性を意思決定に活かす」と題して優れたリーダーは自分自身の視点の限界に謙虚に向き合い、自分(たち)の「外」の視点を取り入れ活かす必要性と、「自分の外」を認知し、自分の認知の限界を補完するスキルは何歳からでも、一生を通じて伸ばせると書かれていました。

 

努力する人ほど、「勝ち組」になったことは自分の努力の結果であり、自分は努力したことにより「高い」位置に達したのであり「低い」ところにいる人は努力が足りないと考えるのは、その領域での専門性、専門能力の優劣を競う限りにおいて、間違いではないと、私は思います。ただし、人は生まれ持った素質も育った環境も異なり、誰もが同じように努力できるとは限らず、同じように努力しても同じような結果が得られるとも限りません。
大ブレークした漫画『鬼滅の刃』には、「生まれたときは誰もが弱い赤子だ。誰かに助けてもらわなければ生きられない」「強い者は弱い者を助け守る」「弱い者は強くなり、また自分より弱いものを守る」という台詞があります。努力して高みに至ったのであればなお、本人の責めに帰すことない理由で努力できない人もいること、そうした人を援けこそすれ虐げてはならず、そうした人やこれから努力して高みを目指す人を支える必要性を理解することが求められると、私は考えるに至りました。

 

サッカーで世界一のスキルを持つ人が、蹴鞠で最も優れた人であるとは限らないように、世の中には「別の世界」が無数にあり、「別の世界」には「別の世界」で求められる技能、スキルがある。

人生100年時代を生きる私たちは、一生を一つの世界でのみ、生きることは難しいと考えられます。40~50代までに努力が実って功なり名を遂げ「然るべき地位」を得たのであればこそなお、「別の世界」で「弱い赤子」として世の中を違う角度から知る「学び直し」が必要だと痛感しています。

 

 

 

 

 

 

幸福論@現代日本。もっと言えば単なる私の幸福論。

大人気漫画、『鬼滅の刃』。昨年11月までまったく知らなかった私がコミック全巻持ってたりするんですが、その中に、禰豆子が「幸せかどうかは私が決める」って言う場面があります。

今朝、犬の散歩しながら、ふと、この場面を思い出した、というか、自分の子どものことも親のことも、私は幸せにはできないんだよな、と思いまして。

両親は80歳が近くなり、いまは二人で元気に暮らしていますが、そのうち赤子の面倒を見たように面倒を見ないといけない日が来るかも。そうなったとき、衣食住の世話をしてあげることはできる。でも、そういう生活になった時、親が「幸せ」と感じるかどうか。それは、私はどうしようもできないんだよな~、と思ったのです。

 

それは子どもについても言えることで、子どもがそれなりに満ち足りて暮らせるような生活環境は一応、整えてはやれる。でも、それで幸せと感じるかどうかは、子どもが何を幸せと感じるかによるのであり、私が幸せと感じる状態をつくったところで、子どもに幸せと感じさせることはできない。

 

子どもだろうが、親だろうが、幸せかどうかは、本人が何に価値を見出し、どんな時に幸せと感じるか次第。同じく『鬼滅の刃』には、獪岳という自己愛が大変きついキャラクターが「幸せを入れる箱の穴が開いている」と評される場面があるのですが、傍から見ればどれほど幸せな環境をつくってもらおうと、本人が自分が何を幸せと感じるのか知っていて、その幸せを手に入れようとしない限り、認めようとしない限り、ヒトは幸せにはなれない。

要するに、幸せかどうかは、本人次第。自分が何を幸せと思うのか、自分はどういう状況にいれば満ち足りるのか、その満ち足りた状況にどれほど本気で自分から近づいていこうとするのか、そこに近づけたことにどれほど満足を感じられるか。

 

ヒトと同じモノを持ち、ヒトと同じことをしたからと言って、自分が満足できるわけじゃないんですよね。

先日、宇宙旅行をしようとしている人のお話を聞く機会があり、宇宙旅行をしようとしたことで知遇を得た大金持ちの方から「うちに遊びに来いよ!」と言われて遊びに行ったらあとから何百万円とかの滞在費の請求が来た、とおっしゃっていました。その方は、そういう世界に触れることや、宇宙を経験することでご自身の好奇心が満たされることに幸せを感じられるようでしたが、私は同じことをしてもまったく幸せを感じないだろうな~と思います。

 

しばしば、結婚しましょう!というときに「あなたを幸せにします」なんて言いたいだの、言われたいだのありますが、「あなたを幸せにします」って、それはそちらの価値観で「幸せだよね!」という状況を作りますってこと。よしんば、結婚しよう!と盛り上がった時の二人の価値観がピッタリ一緒だとしても、結婚した後の長い人生、価値観なんて変わるんですよね。

仕事一筋だった人が子どもが生まれたら、仕事より子ども!って思うことは別段、珍しいことじゃないですし、大きな病気やケガをして価値観が変わることだって当然、あり得る話です。そうなったとき、価値観が違ってしまった相手を自分の価値観で「幸せにします」なんてやったところで、相手は幸せになれますかね。

なまじっか愛している相手を幸せにしたい、なんて思いが強いほど、自分が差し出す「幸せ感じるよね」に相手が心から幸せを感じないことに気が付くし、相手が幸せを感じないことにストレスもたまりませんかね。

 

何だかね、誰かに幸せにしてもらおう、とか、誰かを幸せにしたいって、それ、違うんじゃないかな、と。大事な人に幸せでいてもらいたい。そういう気持ちは素敵だと思います。

でも、大事な人を幸せにしたい、ってのは、ともすれば、自分の価値観で相手を支配することに繋がるし、大事な人だから私を幸せにしてくれるよね?って、いえ、大事な人だろうが何だろうが、何でもかんでも感じ方同じなわけじゃないし。同じでも一生、同じで変わりませんなんて保証ないし。

そういえば、私は四半世紀ほど前、家人に「あなたを幸せにしたい」と言われて、動物的反射で「いえ、結構です」とお断りしましたっけ。ま、私は昔からそういう人間だったわけです。

 

そしてやっぱり、人は自分で幸せになるしかない、って思ってます。自分が自分と向き合って、自分が何を幸せと感じるか自分に問い、自分が幸せを感じられるように自分が探すしかないんじゃないか。他人の幸せを本気で願う人であればこそ、いつまでも自分が幸せであることを認めようとしない、幸せであることが感じられずに幸せでないと思ってる人と一緒にいるのは嫌になるもんじゃないかと。

私の祖母が「不幸でいること」が好きな人で、そうなるとやっぱり、何か喜ばせようと思わなくなり、できることなら一緒にいる時間減らしたい、ってどこかで感じてましたもんね。

 

日本の先行きが暗いってことで、不幸だ、不安だと思う人は増えてるみたいですが、その背後に、自分の幸せは自分で見つけないといけない、気づかないといけない、探さないといけないんだ、という意識の欠如もあるような気がしています。

 

学校(小学校)は退屈だからキライ、マンガに動画にゲームで暇つぶし、特にやりたいこともなく家の外に出て行かない子ども(小学3年)には、頃合いを見て、「幸せ感じられるような環境は作れるけど、幸せにしてはやれないからね」と話そうと思っています。家でコンテンツ消費してるだけが幸せ、コンテンツ見るだけことだけが幸せってなっても構わないけど、あなたがコンテンツ見て幸せに暮らせるように私がいつまでもあなたの衣食住の面倒見るわけじゃないからね、と。頃合いは中学に入る前後くらい?ま、もうちょい、待たないとな。

両親にも「介護が必要になったら介護はするだろうけれど、その時、あなたを幸せにしてあげることまではできないから、いまのうちから、自分の人生は幸せだったと思えるようにしておいてね」と言っておこうかなと思っています。これは早い方がいいな。

 

私は、自分は幸せな人間、どちらかというとオメデタイ系の人間だと思ってたりするんですが、なんか、自分から何かしようってことなく、だら~、ぼけ~っとして、つまんない、とかいう人、他人を羨むばかり、自分は何するでもなく他人から何かを貰うとか奪うばっかり考えてる人って、案外、そこここにいるなあ、と思ったりします。

そういう人がそこここに存在できる日本って、結局、余裕あるんだと思うので、日本の現状もそんなに憂いなくてもいいのかも、と思う今日この頃。

フリーvsマネーフォワード特許訴訟から~イノベーションと市場と知財戦略

だいぶ、いまさら感がありますが、クラウド会計サービスを巡ってフリーがマネーフォワードを特許権侵害で訴えた事件(2016年訴訟提起、2017年権利者フリーの敗訴で終了)をおさらいしていました。

 

フリーは「独自技術を守りたかった」(https://japan.cnet.com/article/35104918/)。

 

問題となった機能を搭載したサービスはフリーが2013年にリリースしているのに対し、マネーフォワードは2016年にリリースしたそうです。開発期間などを考えると、マネーフォワードがフリーのサービスを知って、似たような機能を作った、つまり、真似したといわれても仕方なく、フリーが真似されたと憤る気持ちはわかります。

 

とはいえ、訴訟ではフリーはあっけなく負けており、その戦いぶりは知財をやってきた人間からするとあまりにお粗末に見える(https://japan.cnet.com/article/35104879/)のも確かです。フリーは「安易な模倣に対する問題提起できたので訴訟した意義があった」と言っていますが、こうまでお粗末な負け方をするくらいなら、訴訟するよりメディアに訴えた方がいいんじゃないかと私は思ってしまったりします。

ちなみに、私はフリーはどこかで聞きかじった「米国流」の「特許訴訟で脅す」をやったんじゃないかと勘繰っているのですが、これは、MBAなどで米国流をお勉強はしたけれど日本の特許実務、もっと言うと日米の特許を巡る文化風土の違いを知らない人がやりがちなことのようにも思っていたりします(どういった違いがあるのかを知りたい人は、下の【おまけ】をお読みください)。

 

とまあ、フリーvsマネーフォワード特許訴訟については立場や知識の違いなどでいろんな主張があるわけですが、「スタートアップにとって、特許対策をしておくことは転ばぬ先の杖」という主張(https://weekly.ascii.jp/elem/000/001/884/1884611/

もまた「立場が変われば主張が違う」の例だと感じます。この記事を書いた弁理士さんは存じ上げており、彼の経歴や今のお立場からすると「出願しておこうね!」という主張になるのも頷けます。

 

ということで、こうしたさまざまな主張はいずれももっともなんですが、20年間、知財専門職としてイノベーション政策、知財政策、そして知財組織・実務の変遷を見た挙句、どういうわけか昨年から大学発ベンチャーのCEOをやってる私の主張は「いや、特許戦争してる場合じゃないのでは?」となります。

というのも、安高さん(前述の記事を書いた弁理士さん)が紹介されているように、会計業界で、会計ソフトを使ってる(デジタル化している)顧客は34%。つまりやっと、デジタル化がアーリーマジョリティに受け入れられつつある状態の中で、クラウド会計の導入者は5%に満たず、デジタル会計市場は会計ソフトの弥生会計一強だとか。

それって、マーケット戦略的に考えれば、ここは少なくともイノベータ事業者(フリーとマネーフォワード)は新機能を真似るだ真似られるだでケンカするより、協力してクラウド会計ソフトのユーザ拡げる努力する、なんなら弥生さんも一緒に、会計のデジタル化推進するようにしたらいいんじゃないかなあ、と思ってしまったりします。

 

私がこんな”主張”を持つようになった背景には、自分がベンチャー企業の経営に係るようになり、ベンチャー同士が小さな初期市場の中で少数のイノベータやアーリーアダプター向けの技術開発を競うけれど、誰もメインストリーム市場を制することを考えてなさそうに見えることがあります。

自分がベンチャー企業に関与するようになり、どうもイノベータ事業者同士はマジョリティからはわかりにくい差別化を一生懸命、競うけれど、いろんな意味で米国と違う日本において、世界に伍するベンチャーを出現させるなら、初期市場のプレイヤー同士は競争するより協創すればいいのに、、、という思いでいます。

 

ちなみに、基本が知財専門職である私。いま関係している会社の知財戦略は、競争ではなく、協創。果たして、策略が功を奏するかどうかは、もうちょい時間が経たないと判明しませんが、ベンチャー企業のど真ん中で「新たな知財戦略」の開発に挑める機会なんてそうそう恵まれるもんじゃない、と自分に言い聞かせながら、「失われた30年」の経済社会、産業/イノベーション政策、知財政策、知財業務の過去と現在を整理して、自分のチャレンジに活かしたいと思う今日この頃。

 

【おまけその1】日米特許事情

米国では1980年代の政策変更(プロパテント政策)以後、ビジネスの世界では特許を使って商売敵の商売を潰したり邪魔したり巨額のお金を巻き上げたりすることは、いつでもどこでも起こりうるビジネスリスク、それも訴訟を提起された瞬間から巨額のお金が動くので、それなりのビジネスをやるのであれば特許の読み書き、使い方は知ってて当たり前の世界です。

けれども、日本で起こる特許訴訟は毎年約150件。毎年5000件もの特許訴訟が起こっている米国の3%に過ぎず、権利者が勝つ確率も米国の半分(日本20数%、米国40%程度)、損害賠償額は2桁違います(米国は数百億円レベルはざらで数億~数十億は当たり前なのに対し、日本は数百万円から1000万円もあればなんとかなる)。

これだけ大きなお金が動くのですから、関与する人材の数=厚みも経験、知識、スキルも日本と米国とでは段違い。

 

ついでに言えば、米国では紙ぴら一枚程度の書類で特許訴訟を打てば、相手方は莫大な費用をかけて応戦せねばならず訴える側の負担が少ないのに対し、日本は訴える側は相当の準備が必要なのです。

簡単に言えば、日本では特許侵害がビジネスに与えるリスクは、確率的にも金額的にも小さい(訴えられても大したことない、訴えた側の利益は少ない)のに、訴えるための準備は大変。

それでも、他社が特許持ってる技術はマネしないという不文律がある業界であれば特許取っておけば真似されないというメリットがありますが、「他社が特許取ってないかどうかを確認して、他社の特許があれば真似しない」なんて文化風土、今日明日にできるもんじゃないですから。そういう意味では、フリーさんの「特許取ってる技術を真似するな~!」という訴訟には、「他社の特許を尊重する」風土づくりの第一歩として、やっぱり意味はあるのかも。

 

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【おまけその2】

Japan as No.1だった1980年代からの40年の日本の国際競争力(グラフの中のオレンジの線)の推移と、米国の動き(黒と青の▲印)、日本の政府、省庁の政策、民間、弁理士会、大学の動き。

 

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私がとある仕事で調べたところでは、米国のベンチャーは、概ね設立後5年くらいから特許を確保しはじめています。それもどうやら自社で特許出願するだけでなく、他社の特許を買ったりしている模様。察するに、初期市場で頭角を現すなり、ある程度行ける、と判断されたベンチャー企業には、事業戦略を担う戦略のプロが張り付いてメインストリーム市場を独占していくために必要な人・技術、それらを持つ企業を丸ごと、呑み込んでいくんだろうな~と思います。

そういうやり方がいいか悪いか、好きか嫌いかはともかく、気まぐれでこだわりの薄いマジョリティ相手のメインストリーム市場を制していくなら、MBAでおなじみポーターの競争戦略に基づいて市場独占に動くのは一つの定石。

でも、イノベータやアーリーアダプターを相手にしている初期市場にいるのなら、事業者が協調して旧市場(例えばアナログな会計)に対する新製品(デジタル会計)の「正当性」を獲得して、「組織エコロジー理論」に沿って死亡率の低い市場を創ろうとしたっていいんじゃないかなあ、とか思うんです。

そのために、知財を使ってみたいなあ、と思うんですけど、まあ、まず、理解してもらえないので、理解してもらうところから頑張らないとな。

 

上って下るー反転する社会

8月に東京・大手町で開催されたサマーカレッジ(https://ecozzeria.jp/events/special/sc2020.html)で高校生・大学生向けにキャリアと家庭(子育て)のお話をさせていただきました。先日、その参加者アンケートを拝見したところ、「年長者に対する違和感の理由がわかりました」という声が多かったので、いったい何を話したのかを書いてみることにしました。

 

サマーカレッジで依頼されたトークは「働きながら子育てする母」としてのお話、ということで、①自分はどのようにキャリアを築いてきたか、②自分の仕事(業界)、③働きながらの子育て、という3つの視点から、ざっと以下のようなお話をしました。

 

①学部(文学部哲学科)を卒業し、農学部の大学院で修士を取得、就職して意に反して特許課に配属。特許の仕事は好きでもないが、得意だと気づいたのでその道で生きてきた。途中、何度か転職し、対外活動もした。一貫性があるようにもないようにもみえるが、「今しかできないことは何か」「いま、すべきだと思うことは?」を自分に問い、「今しかできないこと」をやるようにした結果であり、自分としては考えた末だけれど、結果として行き当たりばったりの出たとこ勝負の連続となった。

 

②新事業創造を知財面からサポートする仕事をしてきた。バブル崩壊後、30年に渡って続いている日本経済の低迷の中で、ずっと「イノベーションが必要」と言われ、様々な施策、取組がされてきたが、世界レベルで見れば明確な成果は出せていない。「イノベーションを興せ」「新事業を創造しろ」という大人は多いが、彼らが55歳以上であるなら、彼らは30年、成果を出せていない。そもそもイノベーション」とは、「いまある社会」役に立つ、必要とされるものではなく、「いまある社会とは違う未来の社会」で必要とされ、役に立つ技術やサービスであるので、「今すぐ儲かる」わけではない

にもかかわらず、「イノベーション」をやれ、と言いつつ「5~10年以内に儲かるのか」などと聞く大人は少なくない。「今すぐ儲かる新商品・サービス」は、30年、失敗し続けてきた55歳以上がリベンジとしてやればよいのであり、そういう大人にあなた方(高校生や大学生)が「やって」と言われても、言うことを聞く必要はない。

つまり、大人の要請、社会の要請には、身勝手なものだってあるのであり、何でもかんでも素直に受け入れる必要はない。

 

③仕事も結婚も、「どこで何をするか」「なぜ誰とするか」は、自分で考え、自分の好み、責任で決めてきたから、ある意味、悩みもなく満足感も高かった。けれども、「子ども」というのは自分とは異なる好み、考えを持ち、自分と違う環境を生きていく「他人」。だから、私にとってベストな判断、選択が、子どもにとって「いい」とは限らない。そうして、親として「こうした方がいいのでは」という考えと、子どもの好みとが一致しない中でいろいろ、判断、選択しないといけないので、いつも「これでいいのか」と悩み、考えさせられる。

 

②の中では、下図を示して55歳以上の人たちと30歳以下の人たちとが生まれ育ち生きていく状況が違い、生まれ育った環境が違うから、考え方・価値観が異なることも話しました。

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日本の人口

 

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先日、拝見したアンケートには、「子どもは他人」と言い切ったことへの驚きや「(子育てで)キャリアを中断しても、別の世界を知ることで成長できると知りました」といったものも多くありました。その中でも最も多かった感想が「中高年に対して抱いていた価値観の違いは、生まれ育った環境の違いによるものと分かったので、これからはそういった違いがあることを前提に話をしてみようと思いました」というもの。

 

使用した図は年配の方が見ていた研修でも使ったことがあり、その時も「図で違いが示されたので説得力があったし、納得した」という感想を頂きました。

その時の経験と、今回の経験を通し、こうした違いがあることが社会全体として明確に認識、共有されないままに老若が対立してしまうのは残念だと思ったし、環境が違うのだから考え方は違って当然、と知れば老若はもっと互いを理解し、共に生きていけるだろな・・・そう思い、ブログで公開してみました。

 

ちなみに、サマーカレッジのレポートは近々、公開される予定です。

さすがはプロ!口の悪い私の話を上品に、マイルドに説明されています(笑)。ご興味ある方はレポートが公開されたらご覧くださいませ。

ノウハウ/知的資産の伝承~知財制度と徒弟/家元制度

先日、「人が集まる場づくり」のプロだと私が感じた方3名とお話する機会がありました。

私もちょこちょこと人を集める活動をしてきたのですが、その方々とお話して感じたのは、圧倒的な経験の差に基づく「ノウハウ」の有無。私が「人を集める場」を作ったのはせいぜいが20回程度であるのに対し、彼らはそれぞれ3000回くらいは「人を集める場」を作ってきたと思われます。

自分が猪口才に「人を集めよう」としてきただけにわかるのですが、「人が集まる場」を作るというのは実は至難の業。遊び半分に人を集めようとしたことがある私に対し、彼らは本気で「人を集める」ために試行錯誤を繰り返し、その積み重ねが一定数に達する頃、「人を集める」ためのノウハウを保有するに至ったのだと感じました。

こうして彼らが試行錯誤を重ねて培ったノウハウの中には、「教えてもらえばできるようになること」や「どうやってるかを見ていればできること」があります。そして、こうした「教えてもらえばできるようになること」「どうやっているかを見ていればできること」は、教えてもらえば、見せてもらえれば、彼らが積み重ねた試行錯誤を少なくとも部分的にはショートカットすることができるでしょう。

ということで、彼らがやってることを「やりたいな」と思う人が増えれば、彼らがやってることを見て「見ていればできること」を真似る人も出現してきます。

「学ぶ」の語源は「真似る」と言われ、先人がやっていることを真似ることは「重複した試行錯誤」を減らして人類社会を進歩させることになります。

とはいえ、真似られた先人からすれば勝手に真似られるのは必ずしも愉快なことではありません。特に勝手に真似て、勝手にアレンジして、なんか違うものにされ、評判を落とされ、それでいてぼろ儲けなんてされれば、誰だっていい気はしないでしょう。

 

だからと言って、真似られないように先人が「ノウハウ」を見せないようにする=隠すと、「いいな、やりたいな」と思った人は先人と同じように試行錯誤しないといけなくなり、社会の進歩は遅くなってしまいます。

そこで産業革命の中で、特許制度に代表される知的財産法が制定され、先人がノウハウを公開する代わりに「無断で真似させない」権利を与えるようにしたことで、いろいろな人が獲得したいろいろなノウハウが公開され、いろいろな人が利用することで欧米を中心に産業が急速に発達しました。

 

一方、日本では明治になるまで特許制度は採用されず、ノウハウは長らく家伝、徒弟制度や家元制度といった、特定の関係性を持つ人同士の間で伝承されてきました。

家伝、徒弟、家元制度(以下、「特定関係での伝承」)は、言語や数値などで誰にでも客観的に伝えられる知識・情報(形式知)を保護対象とする特許制度とは違い、知識・情報を取得するlearning以上に、技能の習得が重視されます。技能の習得は、体を動かした実践活動(doing)であり、一定の時間数の積み重ね(稽古/修行)が必要で、その積み重ねの時間の中で先人と学ぶ人(子弟)の関係性が構築され、先人の想いやそのノウハウを用いるための心構えも受け継がれていきます。

このように特定関係での伝承は、形式知よりはむしろ、関係性の中でしか伝えにくい技能といった暗黙知の伝達に適しています。一方、特定関係での伝承は、特定の関係性を持つ人同士という狭い範囲でしかノウハウを伝達できず、また一定の経験の積み重ねを必要とするため、ノウハウを社会に広く早く伝達するには向いていません。

 

私は20年以上、特許を専門とする知的財産専門職として仕事をしてきましたが、日本の文化風土は無意識のうちに「特定関係での伝承」を好む一方、ノウハウを形式知化して広く早く社会のいろいろな人に利用してもらうことで社会に広く普及させることは欧米ほどうまくないと感じています。

私は特許などの知的財産権を振りかざすことがいいとは思っていませんが、戦後の経済成長を支えてきた終身雇用が揺らぎ、「所属会社」という特定関係の中でのノウハウ伝承が衰退する一方で知的財産制度を理解する人は少なく、苦労して獲得されたノウハウなどの知的な創作が大切に扱われないことは残念だと思っています。

 

「人が集まる場づくりプロ」とお話する前々日、素敵なオブジェを創作される造形作家の方から著作権の相談を頂き、著作権制度についてお話させていただく機会がありました。その作家さんには、「著作物とは何か」という話から「なぜ、著作権制度が必要か」「著作権制度は何のためにあるのか」というお話をしました。お話する中で、著作権制度も特許制度も本質は同じ(創作を尊重しつつ、創作を社会全体で共有する)なのに、そうした本質って、知財専門職はちゃんと伝えられてないな~と痛感しました。

 

知財制度が目的とする「創作を尊重して『正しく真似』て『無駄な試行錯誤』『いい加減な真似』『ズルい二番煎じ』を減らすこと」は、知財制度じゃなくて、「特定関係での伝承」でやってもいい。「特定関係での伝承」ってその方法が体系化的に整理されてるわけでもないし、その方法をガイドする専門家なんて聞いたこともない。でも、知的財産専門職というからには、「特定関係での伝承」なんていう日本的な知財保護策の勉強も必要かな、なんて思った秋の一日。

 

 

 

心の若さ~成功は老いのもと

「青春とは、心の若さである」というサムエル・ウルマンの詩の一節は知っている人も多いでしょう。

サムエル・ウルマンは「年を重ねただけでは人は老いない。人は理想を失うときはじめて老いる」と詠いましたが、50歳目前という老いのとばりに立った私はいま、「人は理解しようとすることを止めたとき老いる」のではないかと感じています。

 

私は昨日、新入社員研修の講師を勤めたのですが、年若い受講生は、自らは何も知らない、何もできない存在であることを当然としているがゆえに、知らないことを知ろうとします。

「知らないがゆえに知ろうとする」彼らには、人としての素直さが感じられました。一方、年を重ねて「わかっている」ことを蓄積した人や、知的好奇心が強く「知ってること」がたくさんある人には、「この人とは話をしても意味がない」と思わせるような傲慢さを感じることがあります。

 

養老孟司さんは『バカの壁』で、何かを理解するとき、これ以上、理解できないとして理解しようとすることを止めてしまうことを「バカの壁」と表現しました。まだ何者でもなく、知らないことばかりだと思っている人は、理解しようと前進し続けるので「バカの壁」を作らない。一方で、自分はわかっている、知っていると思っていれば、自分がわかっているつもりのことについて、自分とは違う解釈や考え方を理解する必要性を感じない。結果、わかっている、知っていると思っていることが多いほど、人は「バカの壁」を築き、自分がわかっているつもり、知っているつもりのことについて、まだ知らないこと、わかってないことがあることに向き合おうとしない。

 

かくいう私は単純に知りたがりで、気が付けばたくさんの「知ってること」「わかってるつもり」のことを抱えていました。自分の興味と関心の赴くままに無意識のうちに蓄積した「知ってること」「わかってること」は、私に知らず知らずのうちに「バカの壁」を築かせ、私を傲慢にしていたと思います。

私の周りには私と同じように、興味と関心の赴くままにたくさんの知識を持った年少者や、知識だけでなくさまざまな「体験」も蓄積した同世代や年長者がいます。

20年を超える社会経験を持つ同世代以上の「わかっている」人たちは、自分がわかっているつもり、知っているつもりのことに、自分がまだ知らないこと、自分とは違う捉え方、解釈はあり得ることをわかっています。けれども、私を含めた彼らの多くは、自分がわかっているつもり、知っているつもりのことの「別の一面」を「理解する」「余裕がない」、と言います。

自分が「わかっている」つもりとしてきたこと、とりわけ、それが無意識のうちに否定したり嫌っていたりしたことであれば、そのことの「別の一面」「自分が知らなかったこと」に目を向けることは、自分の心をざわつかせます。老いを自覚し始めている50歳前後以上で何らかの責任なる立場にあればこそなお、その心のざわつきと向き合う「余裕」はありません。

こうして人は「心の若さ」を失うのだ、そう、思います。

 

一方で、まだ体力も気力もある20,30代で「知ってるつもり」の年少者は、短期的成果を求める世の中で、早く成熟しよう、早く「何者か」にならなければならない、結果を出さねば、という無意識のプレッシャー、焦りを感じているように見えます。

「砂糖が甘い」ということを知識として「知っている」ことと、砂糖を舐めてその甘さが自分にどのような感情、価値を与えるのかを知って「砂糖が甘い」ということが「わかる」こととは違います。世界中の情報がインターネットで得られる時代、世界どころか宇宙にあるもの、出来事はすぐに「知る」ことはできます。オーロラが雄大で心を揺さぶられるという「体験談」を「知る」ことはすぐできるけれど、自らがそれを体験して「雄大なオーロラ」やそれに「心を揺さぶられる」ということがどういうことかを自分のものとして「わかる」には、体験が必要で、体験するには時間が必要です。

世の中にあるすべての仕事には「やってみなければわからない」その仕事の苦しさ、愉しさ、深さ、意味、価値があります。世の中の、くだらないと思うようなことの意味が「わかる」ようになるには、それなりの時間がかかります。

けれど知識がいっぱいで”デザイン思考”が上手い戦略家や年少者は「知識」を持てばわかったと思う。あるいはその逆で特定の領域の「具体」「個別」を磨き上げた職人や年長者は、自分の世界のことは知ってるし、わかってもいるけど、別の世界を知らず、知ろうとしない。

それでもそういうタイプは成果を出せてしまうことも多く、成果が出せるゆえに自分が知ってるつもり、わかってるつもり以上・以外を理解する必要性を感じづらい。そうして「知らないから教えて」「わかってないのでわかりたい」という姿勢をなくし、価値観の異なる年少者や違う意見の人の話を聞けない「心の若さ」を失った人になっていく。

 

100年時代と言われる人生の折り返し点に来て、知りたいことがあったから知識が豊富になった人、やりたいことがあってやり抜いてきたから成果を出した人ほど、他人の話が聴けずに心が老い、いよいよ身体が老いる頃には世間の感覚とズレて成果も出せず愛嬌もないただの面倒な老人になるリスクが高いように思えています。

 

ビジネス者として大成功した人生を「喜びが少なかった」と振り返って逝ったスティーブ・ジョブズは、人生の最期で、人と関わり合うこと、自分の周りにいる人を大切にすることの価値を説きました。若くして成功を収めたFacebookマーク・ザッカーバーグは「人の話を聴かない」状態になっているのではないかと言われています。

「何かを為す」「何者かになる」ために努力し、成功を収めた結果、人の話が聴けないお山の大将、裸の王様になる。私の感覚では、何かを為した、何者かになった領域で15年以上、リーダー的存在でいる45歳以上には異論を言う人がいなくなるため、心が老いていくようです。何かを為そう、何者かになろうと焦る45歳未満もまた、心が老いているように見え、それは、自分が興味や関心を持たない物事の価値を知ることを「無駄」として否定し、知ろうとしないからであるように見えます。

 

膨大な情報が世界中を駆け回る時代は、持っている知識の多さは人の価値にはならず、変化の激しい時代において蓄積した経験知は陳腐化し「時代遅れで世間とズレた価値観・判断」を招くように思います。情報が溢れ、変化が激しい時代は、多くの知識を早急に得て、あるいは特定の領域に籠って成果を出そうとすると、心が老いてしまうのではないか。

目まぐるしく移り変わる時代の中で長寿を得た私たちは、人目を惹く成功より、もっとゆったりした気持ちで人生を味わうことに価値をおいてもいいのではないか。自分が無意識のうちに知ろうとしていない何か、自分が価値なしと判じて否定している何かの価値を理解しようとする「無駄」な時間を持てることは、いまの私には、人目を惹く成功より価値があるように思えています。