戦略・戦術・戦闘、あるいは抽象化・一般化・個別

私は地方(大阪)出身ですが、20年少しの社会人生活のほとんどを東京で送りました。

東京では知財専門職として新規事業創造・事業戦略の構築、推進に携わり、さまざまなセミナーや社外人脈との交流を通じてたくさんの情報を得ていました。

このため書籍やネット検索で得られる”情報”もそうした”情報”の裏に潜んでいる”情報”もどちらも簡単に手に入るのが当たり前でした。しかし5年前、大阪に戻ってからはセミナー・イベントや社外人脈との交流を通じて入る情報の入手に苦労してきました。

 

そのような状況の中でのコロナ禍による”オンライン”が当たり前のいまは、首都圏にいなければアクセスできなかったイベント、会話にオンラインで参加することができます。

立ち上がったばかりの会社を運営するために、さまざまな人の話を聞き、情報を集めたい私にとっては何とも絶好の機会ということで、この1か月、首都圏発のイベントに参加し、遠方の方々とお話ししてきました。

そんな日々の中で先日、中国地方の方と「地方と都市の接続」をテーマに2時間、じっくりとお話しすることができました。その方は、3年ほど前に開催された、”都市の戦略系フリーランス(=事業戦略の立案や推進を専門とする、フリーの戦略系コンサル、マーケター)が地方の事業者の課題を解決する”という企画を通じて知り合った方です。

その方は、その企画の中で戦略系フリーランスの方から”MBA的に完璧!”な提案を頂き、その企画の際には「なるほどな~」と感銘を受けておられたように見えました。

今回、改めてその企画を振り返った感想を頂いたところ、「MBAで習う戦略そのままで、確かにその通りにやればスケールして事業拡大できそうに見える。でも、地元のプレイヤーにとっては大事なディティール、例えばどこから調達するのかという調達網、調達コスト、誰にどれくらいどうやって売るのか売れるのか、在庫コストはどうか、といったことがまったく、考慮されてないから、絵に描いた餅、誰にでも通じる代わりに誰にも使えない提案だと思う」「それでも、提案した側は『やらないからスケールしないんだ』というだろうなと思う」といった趣旨のことをお話ししてくださいました。

 

私自身、都市出身の戦略系フリーランスであり、この方の指摘はまさに自分のやってきたことが中小事業者さんに受け入れられない理由の核心を突いていると感じました。

戦略・構想の提案をやってきた私は、さまざまな個別の事例から「一般化できる戦略・モデル」を抽出し、それらの中から目の前のクライアント(あるいは自分の会社)の事業に有効と思われる戦略を提案することはできます。ですが、他所の事例の中から「他者にも展開できる」スケルトンとして抽出された方法論は、個々の事業者によって異なる個別具体の事情と紐づけて具体化=個別化されない限り、実行されない。

一般化された方法論、いわば戦術は「他所でも展開できる」がゆえに情報としては拡散する、つまりスケールする。けれども、実行できること、つまり実際に現場で繰り広げられる戦闘は個別具体の事情を考慮して設計され、その場限りでしか展開されない。

 

大規模に展開していく事業は、複数の”個別具体の現場””戦闘”の中に、他所でも通用する一般化された戦術を埋め込まれている必要があり、事業を大規模に展開するためには複数の個別具体から一般化できる方法論=戦術を取り出す必要はある。

経営学や事業戦略論は、そもそもが大規模展開を旨とする大企業が求めてきた知見ゆえに「スケールする」方法論の探査、その方法論を「複数の現場」で同時多発的に実行するための「共通の手順」の策定には長けている。一方で、他所では展開できない「個別具体」に落とすための肉付け、そのために唯一無二の「現場」を理解して戦闘を設計する方法論は教えられていないのではないか。

 

自身が代表を務める会社の「個別具体」に応じた活動をデザインできない限り、一銭もお金は稼げない。その現実を背負うことで、個別具体的に成すべきことである戦闘の大切さをやっと、理解できるようになったと感じています。

同時に、個別の戦闘が優れたものであれば、その中には他所でも通じる、一般化できる戦術のかけらがあるものだとも思っています。戦術は、戦闘の優れた要素が取り出され一般化されたものであり、戦略はそれが一般化を超えて抽象化されたもの。

 

 

お話しさせていただいた中国地方の方は、陶芸に通じた方なのですが、私は陶芸の良し悪しはわかりません。そのことを正直にお伝えすると、その方は「良い・悪いを判断する基準というか、『これは良い』『これは悪い』という合理的な理由がある。それを知れば、その『約束』が守れてるのか、守れてないのか、その『約束』を知ってるけど打ち破ってるのか、がわかるようになる」と教えてくださいました。

それを聞き、全ての芸事には習うべき作法があり、それは仕事でも家事でも同じ、何事にも「こうしたほうがいい」何かがあり、それが良い、悪いとされるに至った歴史、経緯、理由がある。まずはその「基礎」を知り(守)、その上で、その基礎の疑うべきがあるなら疑い(破)、時代や状況に即した新たな「基礎」を打ち立てる(離)段階へと至る。

 

何らかの一つの道でその守破離のプロセスを辿っていれば、別の道でそのプロセスを辿っている人とも話が弾む。工芸、芸事、仕事であれ、およそ人間が手がけて次代に伝える何かには、守破離のプロセスで受け継がれる、一般化された方法論が見出されているのしょう。

これから私がなすことは、知財という道で守破離を辿った経験を自らの糧として、未だ知らない守破離の道に踏み出すことであり、代表を務める会社の事業活動として実行されるあまたの戦闘の中から、戦術を抽出すること、できればそれを戦略にまで抽象化すること。

そう思うと、一つの道を歩んできてよかった、そしてそこから逸脱する機会に恵まれてよかった、これから経験するすべてを愉しめる、そんな気持ちになります。