多様化する時代のゆるベンチャー

私が代表となっているS株式会社はK大学発ベンチャーです。

私を含めた取締役3名のうち1名(創業者)はK大教員で取締役全員がS社の仕事以外の別の仕事を持つ兼業・非常勤です。私がこの件に関わった時、創業者とK大学の起業支援関連組織の担当者とであれやこれやの創業計画を練っていたこともあり、私(と私のお手伝いをお願いしたもう1名の取締役)は自分ができることをやってればいいボランティアのつもりでした。

ということで、取締役は全員、生計をS社に依存しておらず現時点で無給。有給の社員はフルタイムの正社員1名と大学で研究しながらの非常勤社員1名。

有給社員の雇用開始は2020年4月1日。それに先立つ3月30日、諸事情により「自分ができることをやってればいいボランティア」ではなく、代表取締役としての経営責任を負うと覚悟した直後にコロナ情勢が急変。無給どころか少ない貯金までS社に突っ込まざるを得ない決断をしてしまい、図らずも世のベンチャー経営者が背負うリスクの一端を背負う経験をする羽目になりました。

 

私は知財専門職として事業創造者の近くにいて、彼らがリスクを背負って経営する姿を凄いと思いつつも、自分自身は長らくサラリーマンとしてノーリスクでそこそこの安定、成功を得てきました。私の周りのアラフィフベンチャー経営者は、高学歴で著名企業や官庁に職を得ながらベンチャー経営に転じ、傍目にはそれなりの成功を収めているよう見えますが、相応の犠牲や苦労をしています。

私はそんな彼らを眩しく思いつつも、自分自身は華々しい成功のために重荷を背負うより、家族や自分に過度な負荷をかけずに本気になれる仕事をちょこちょこ手掛けてそこそこの生活ができればいい、という考えの人間です。もっと率直に言えば、いくらやりがいや社会的意義がある仕事だとしても、家庭を顧みず、心の余裕もなくなるような厳しい環境は嫌なのです。

 

S社に無給で労役を提供してきたのも、さしたる負荷でなく自分が欲する「経験」が手に入るからだったのですが、そういう「わがままな働き方」をするために蓄えてきた貯金をはたかざるを得ない決断をしてしまったわけです。

そして自分で下した決断だから、自分が責任取るのは当たり前、ということで、借り入れ、営業などなど、会社を存続させるためにこれまで絶対、やりたくないと思ってたことをやらざるを得なくなりました。結果、「いい経験になった」と笑ってる自分がいてました。

そんなとき「いくら高学歴で頭が良くても、ベンチャー・スタートアップ企業は「普通の人」が働く先ではない(https://blog.tinect.jp/?p=63279)を読み、私自身、ある意味「普通の人」ではないけれど、絶対の自信があっていわゆる「成功」を求めてるわけでもないなあ、とも思っていました。

 

 

これはベンチャーの「成功」をどう定義するかの問題なのでしょうが、私たちの会社には、お金や名誉、インパクトで成り上がることを「成功」と考える人は、現状、いません。私たちにとっての「成功」は、私たちの理念に共鳴してくれる方々を時に顧客、時にパートナーとして私たちの理念を実現する技術、サービスを創出しながら、「普通」の生活、「普通」の働き方ができることです。

ベンチャーをやる以上、失敗するリスクはあるけれど、家庭なり家計を背負っている経営陣は「本業」を持つことでリスクヘッジしてるし、ベンチャーであるS社に生計委ねてる有給社員は扶養義務のないアラサーです。若く元気な彼らも、彼らほどの自由も元気もない経営陣も、お金や名誉、インパクトで成り上がることをブラックになってまで求める価値とは考えていません。お金や名誉、インパクトなど誰もが欲しがるようなわかりやすい価値がブラック避けてショートカットで手に入ると思うほど、短絡的でもなければ自信家でもありません。そういう意味で、私たちは「別に普通」の人間の集団だと思います。

 

価値観が多様化する時代、ベンチャー・スタートアップの「成功」は必ずしもお金や名誉、インパクトでスケールすることとは限らないことをS社の「成功」が伝えられるようになればいいな、と思っています。