起業支援って何だっけ?~事業創造の内と外

私は長らく知財専門職として新事業創造を”サポート”する仕事をしてきました。それが今年1月設立したベンチャー企業の代表を務めている関係で、新事業をサポートするお仕事をされている方の支援を受ける側に。

 

私のキャリアは企業の特許担当として、研究開発者の研究成果を特許化する”サポート”をすることから始まっています。その時からず~っと思ってきたことは、”サポート”する立場がなんて偉そうというか不親切なんだろう、ということ。

特許業務は専門性が高いので、研究開発者と言えども自力で出願・権利化するのは難しいこともある。ということで、企業の知財担当者が研究開発者と(権利化を代理する外部事務所の)弁理士との間に入って、権利取得をするために足りないデータ、不足する情報を補ったりするんですが、研究開発者に「こういうデータを出せ」「ここがダメ、足りてない」というだけ知財担当者や弁理士が結構、いるんですよね。

 

研究開発者というのは研究開発をするのが仕事ですから、特許を出す段階に至った=終わった研究について追加で情報出せと言われたところで、面倒、やりたくないと思うのが当然です。なのに、研究開発者が特許を取ることをサポートする役割の知財担当者が、高い専門性をカサに着て偉そうに「このデータを出せ」「ここがダメだから権利取れない」っていうのってどうなんだよ、と、ずっと思ってきました。

 

なんでこんな話を引っ張り出したかというと、助成金を取るのを手伝うなどして企業をサポートするお仕事をされてる方に、この手の「不親切」というか偉そうな方が案外、いるなと感じるので。

もちろん不親切な方ばかりではなく、もっとリアルなニーズに迫る必要がある、と指摘し、”雑談”と称して業界・顧客のリアルな課題、状況を教えてくれたり、こちらが知らない情報を提供してくださるような方もいます。

一方で、「ここが足りない」「ここがダメ」「この情報を出せ」というだけで放置。あるいは、”ご親切”な方では、こちらがどうしたいのか何ができるかをちゃんと聞かず、ご自身の解釈で、こちらが考えてるストーリーとは違うストーリーやtodoを作ってくださる方もおられたり。

 

あまり属性でどうこういうのは好きではないのですが、こちらに足りない情報をくれ「仲間」になってくれる前者のタイプは若い方、元気で楽しそうな方が多い。

後者のダメ出しするだけとか自分の解釈でお手伝いくださる人は、優秀なキャリアや過去にプレミアムな組織に所属していたことをにプライドがあって、経営学基本教科はちゃんと勉強して企画部門で経営/事業企画やってたエリートっぽい人が多い。

 

前者の人は「仲間」だと感じるんですが、後者の人はいったい、誰のためにどんな価値を提供してるんだ?自分は誰にどんな価値提供をして対価をもらってると思ってるんだ??という思いを禁じえず。

 

スタートアップをやっているので、投資関連のお仕事をされている人とも接点があるのですが、そういう人にも後者のタイプが多い。うちは現在、出資は求めていませんが、それは、投資を業務としている方がこちらの「仲間」と感じられない後者のタイプが多くて、こちらの役に立たないと感じるから。成長しそうな企業を見つけ、カネを出して「成長しろ」と言って、あれやれ、これやれと自分が描いた「成長ストーリー」を実現しろと迫るような人は、事業創造やってる側からすると、仲間でも支援者でもない。

そういう人を見ると、あなたは誰のためにどんな役に立とうとしているの?あなたの給料はあなたが誰にどんな価値を提供している対価なの?と聞きたくなります。

 

事業というのは、一人一人の日常の暮らしや仕事の中に組み込まれる”何か”を提供すること。事業創造というのは、その”何か”を見つけ出し、それを生産して提供することがその”何か”を必要とする人に喜ばれる、その”何か”を求める人の役に立ち、その”お礼”として対価を得るという仕組みを作って回せるようにすること。

相手の不足を指摘する、相手に何かやれといったところで、その相手はそれができるとは限らない。その時、その相手ができるように補助線を引いてあげる、その相手ができるようになるために必要な”何か”をしてあげること。それが支援、支え合う、ということで、事業活動というのは大きく言えばモノやサービスの生産と提供を介した支え合いなのかも。

 

自分ではできないからやってもらう。支えてもらう。代わりに自分ができることをやってあげる、支えてあげる。

できてないことを指摘し、やれというだけでできる人もいるけれど、そんな人は一握り。誰もが何でもできるわけじゃないから、それぞれができることを増やせるようにそれぞれができることを差し出し合うのが仲間で、そういう仲間なくして事業活動は営めないし、人間社会は成立しないんだとしみじみ、思う。

 

私は長く、不足を指摘すれば勝手に学んで育つ人たちだけでできた「選抜チーム」ばかりを見てきたように思います。不足を指摘されてもどうやったらいいのかわからない人同士が、支え合わなければできない「いる人でやるしかない」状況はわかってなかったと思います。

だから、事業創造を支援する仕事をしながらも、支援を求める側が実行できるのかどうかに思いを至らせ、支援を求める側はなぜどういう気持ちで誰にどんな価値を提供しようとしているのか、そのために何が不足しているのかを見出し、その不足を埋めるための具体的な行動=価値提供はできていなかったんじゃないかと思います。

 

「選抜チーム」は作れない地方でS社の代表を引き受けたのはただの成り行きで、「こんなこと、想定してなかった」とため息つくこともないわけではないけれど、それ以上に、事業創造を”支援”するとはどういうことか、支援を要する側から見ることができてよかった、そう思っています。

多様化する時代のゆるベンチャー

私が代表となっているS株式会社はK大学発ベンチャーです。

私を含めた取締役3名のうち1名(創業者)はK大教員で取締役全員がS社の仕事以外の別の仕事を持つ兼業・非常勤です。私がこの件に関わった時、創業者とK大学の起業支援関連組織の担当者とであれやこれやの創業計画を練っていたこともあり、私(と私のお手伝いをお願いしたもう1名の取締役)は自分ができることをやってればいいボランティアのつもりでした。

ということで、取締役は全員、生計をS社に依存しておらず現時点で無給。有給の社員はフルタイムの正社員1名と大学で研究しながらの非常勤社員1名。

有給社員の雇用開始は2020年4月1日。それに先立つ3月30日、諸事情により「自分ができることをやってればいいボランティア」ではなく、代表取締役としての経営責任を負うと覚悟した直後にコロナ情勢が急変。無給どころか少ない貯金までS社に突っ込まざるを得ない決断をしてしまい、図らずも世のベンチャー経営者が背負うリスクの一端を背負う経験をする羽目になりました。

 

私は知財専門職として事業創造者の近くにいて、彼らがリスクを背負って経営する姿を凄いと思いつつも、自分自身は長らくサラリーマンとしてノーリスクでそこそこの安定、成功を得てきました。私の周りのアラフィフベンチャー経営者は、高学歴で著名企業や官庁に職を得ながらベンチャー経営に転じ、傍目にはそれなりの成功を収めているよう見えますが、相応の犠牲や苦労をしています。

私はそんな彼らを眩しく思いつつも、自分自身は華々しい成功のために重荷を背負うより、家族や自分に過度な負荷をかけずに本気になれる仕事をちょこちょこ手掛けてそこそこの生活ができればいい、という考えの人間です。もっと率直に言えば、いくらやりがいや社会的意義がある仕事だとしても、家庭を顧みず、心の余裕もなくなるような厳しい環境は嫌なのです。

 

S社に無給で労役を提供してきたのも、さしたる負荷でなく自分が欲する「経験」が手に入るからだったのですが、そういう「わがままな働き方」をするために蓄えてきた貯金をはたかざるを得ない決断をしてしまったわけです。

そして自分で下した決断だから、自分が責任取るのは当たり前、ということで、借り入れ、営業などなど、会社を存続させるためにこれまで絶対、やりたくないと思ってたことをやらざるを得なくなりました。結果、「いい経験になった」と笑ってる自分がいてました。

そんなとき「いくら高学歴で頭が良くても、ベンチャー・スタートアップ企業は「普通の人」が働く先ではない(https://blog.tinect.jp/?p=63279)を読み、私自身、ある意味「普通の人」ではないけれど、絶対の自信があっていわゆる「成功」を求めてるわけでもないなあ、とも思っていました。

 

 

これはベンチャーの「成功」をどう定義するかの問題なのでしょうが、私たちの会社には、お金や名誉、インパクトで成り上がることを「成功」と考える人は、現状、いません。私たちにとっての「成功」は、私たちの理念に共鳴してくれる方々を時に顧客、時にパートナーとして私たちの理念を実現する技術、サービスを創出しながら、「普通」の生活、「普通」の働き方ができることです。

ベンチャーをやる以上、失敗するリスクはあるけれど、家庭なり家計を背負っている経営陣は「本業」を持つことでリスクヘッジしてるし、ベンチャーであるS社に生計委ねてる有給社員は扶養義務のないアラサーです。若く元気な彼らも、彼らほどの自由も元気もない経営陣も、お金や名誉、インパクトで成り上がることをブラックになってまで求める価値とは考えていません。お金や名誉、インパクトなど誰もが欲しがるようなわかりやすい価値がブラック避けてショートカットで手に入ると思うほど、短絡的でもなければ自信家でもありません。そういう意味で、私たちは「別に普通」の人間の集団だと思います。

 

価値観が多様化する時代、ベンチャー・スタートアップの「成功」は必ずしもお金や名誉、インパクトでスケールすることとは限らないことをS社の「成功」が伝えられるようになればいいな、と思っています。

 

戦略・戦術・戦闘、あるいは抽象化・一般化・個別

私は地方(大阪)出身ですが、20年少しの社会人生活のほとんどを東京で送りました。

東京では知財専門職として新規事業創造・事業戦略の構築、推進に携わり、さまざまなセミナーや社外人脈との交流を通じてたくさんの情報を得ていました。

このため書籍やネット検索で得られる”情報”もそうした”情報”の裏に潜んでいる”情報”もどちらも簡単に手に入るのが当たり前でした。しかし5年前、大阪に戻ってからはセミナー・イベントや社外人脈との交流を通じて入る情報の入手に苦労してきました。

 

そのような状況の中でのコロナ禍による”オンライン”が当たり前のいまは、首都圏にいなければアクセスできなかったイベント、会話にオンラインで参加することができます。

立ち上がったばかりの会社を運営するために、さまざまな人の話を聞き、情報を集めたい私にとっては何とも絶好の機会ということで、この1か月、首都圏発のイベントに参加し、遠方の方々とお話ししてきました。

そんな日々の中で先日、中国地方の方と「地方と都市の接続」をテーマに2時間、じっくりとお話しすることができました。その方は、3年ほど前に開催された、”都市の戦略系フリーランス(=事業戦略の立案や推進を専門とする、フリーの戦略系コンサル、マーケター)が地方の事業者の課題を解決する”という企画を通じて知り合った方です。

その方は、その企画の中で戦略系フリーランスの方から”MBA的に完璧!”な提案を頂き、その企画の際には「なるほどな~」と感銘を受けておられたように見えました。

今回、改めてその企画を振り返った感想を頂いたところ、「MBAで習う戦略そのままで、確かにその通りにやればスケールして事業拡大できそうに見える。でも、地元のプレイヤーにとっては大事なディティール、例えばどこから調達するのかという調達網、調達コスト、誰にどれくらいどうやって売るのか売れるのか、在庫コストはどうか、といったことがまったく、考慮されてないから、絵に描いた餅、誰にでも通じる代わりに誰にも使えない提案だと思う」「それでも、提案した側は『やらないからスケールしないんだ』というだろうなと思う」といった趣旨のことをお話ししてくださいました。

 

私自身、都市出身の戦略系フリーランスであり、この方の指摘はまさに自分のやってきたことが中小事業者さんに受け入れられない理由の核心を突いていると感じました。

戦略・構想の提案をやってきた私は、さまざまな個別の事例から「一般化できる戦略・モデル」を抽出し、それらの中から目の前のクライアント(あるいは自分の会社)の事業に有効と思われる戦略を提案することはできます。ですが、他所の事例の中から「他者にも展開できる」スケルトンとして抽出された方法論は、個々の事業者によって異なる個別具体の事情と紐づけて具体化=個別化されない限り、実行されない。

一般化された方法論、いわば戦術は「他所でも展開できる」がゆえに情報としては拡散する、つまりスケールする。けれども、実行できること、つまり実際に現場で繰り広げられる戦闘は個別具体の事情を考慮して設計され、その場限りでしか展開されない。

 

大規模に展開していく事業は、複数の”個別具体の現場””戦闘”の中に、他所でも通用する一般化された戦術を埋め込まれている必要があり、事業を大規模に展開するためには複数の個別具体から一般化できる方法論=戦術を取り出す必要はある。

経営学や事業戦略論は、そもそもが大規模展開を旨とする大企業が求めてきた知見ゆえに「スケールする」方法論の探査、その方法論を「複数の現場」で同時多発的に実行するための「共通の手順」の策定には長けている。一方で、他所では展開できない「個別具体」に落とすための肉付け、そのために唯一無二の「現場」を理解して戦闘を設計する方法論は教えられていないのではないか。

 

自身が代表を務める会社の「個別具体」に応じた活動をデザインできない限り、一銭もお金は稼げない。その現実を背負うことで、個別具体的に成すべきことである戦闘の大切さをやっと、理解できるようになったと感じています。

同時に、個別の戦闘が優れたものであれば、その中には他所でも通じる、一般化できる戦術のかけらがあるものだとも思っています。戦術は、戦闘の優れた要素が取り出され一般化されたものであり、戦略はそれが一般化を超えて抽象化されたもの。

 

 

お話しさせていただいた中国地方の方は、陶芸に通じた方なのですが、私は陶芸の良し悪しはわかりません。そのことを正直にお伝えすると、その方は「良い・悪いを判断する基準というか、『これは良い』『これは悪い』という合理的な理由がある。それを知れば、その『約束』が守れてるのか、守れてないのか、その『約束』を知ってるけど打ち破ってるのか、がわかるようになる」と教えてくださいました。

それを聞き、全ての芸事には習うべき作法があり、それは仕事でも家事でも同じ、何事にも「こうしたほうがいい」何かがあり、それが良い、悪いとされるに至った歴史、経緯、理由がある。まずはその「基礎」を知り(守)、その上で、その基礎の疑うべきがあるなら疑い(破)、時代や状況に即した新たな「基礎」を打ち立てる(離)段階へと至る。

 

何らかの一つの道でその守破離のプロセスを辿っていれば、別の道でそのプロセスを辿っている人とも話が弾む。工芸、芸事、仕事であれ、およそ人間が手がけて次代に伝える何かには、守破離のプロセスで受け継がれる、一般化された方法論が見出されているのしょう。

これから私がなすことは、知財という道で守破離を辿った経験を自らの糧として、未だ知らない守破離の道に踏み出すことであり、代表を務める会社の事業活動として実行されるあまたの戦闘の中から、戦術を抽出すること、できればそれを戦略にまで抽象化すること。

そう思うと、一つの道を歩んできてよかった、そしてそこから逸脱する機会に恵まれてよかった、これから経験するすべてを愉しめる、そんな気持ちになります。

資本主義と「価値」の変わり目

私は1971年生まれ、いわゆる第2次ベビーブーマー団塊ジュニアです。

ですから私は20年以上、経済成長率1%前後の低成長の時代の中で何度かの転職を経ながら働いてきたのですが、経営者は誰も、そしていつも「売上高up」「利益の拡大」を求めていました。

右肩上がりの売り上げ、市場、経済。そんなものはもはや過去、たとえ市場を海外に求めたところで地球が無限に膨張するわけでなし、いつしか市場の拡大、売り上げの成長は止まるでしょう?経済が永遠に成長するなんてありえない。

私は長らくそう考えていました。

 

それがつい最近、”富”を生産すれば経済は成長し続けられるのだということに気が付きました。”富”とは経済社会において人・社会が求める何か。人や社会は常に何らかの”価値ある何か”を求める以上、その時々に求められる「価値ある何か」を生産し続ければ、生産された富は理論的に増やし続けられる!

ある決まった「価値ある何か」を生産し取引する市場は永遠に拡大し続けることはない。でも、「価値ある何か」を生産し取引する市場は生産・取引対象をその時代時代で求められる「価値ある何か」に変更していけば、生産・取引される「価値ある何か」の総量は増え続ける。

 

「資本主義」はいろいろな定義がありますが、私なりわかりやすく定義すれば「欲望を材料にカネを生む仕組み」ということになるかな、と思っています。欲望、つまり人や社会が求める「価値ある何か」を求める気持ち。「価値ある何か」を求める気持ちに応えようと「価値ある何か」を生産する人と「価値ある何か」を求める人とがカネを介して「価値ある何か」を交換する。「価値ある何か」を求める個人の気持ち、その気持ちに応えようとする個人の気持ちを燃料に、カネが回る。これが資本主義の市場かなと。

 

その「価値ある何か」は時代や地域で異なります。20世紀の日本では長く「価値ある何か」はモノでした。20世紀後半から最近まで、日本を含む先進国、特に米国を中心とした金融資本主義における「価値ある何か」は「カネ」そのものだったようにも思います。

 

20世紀後半から日本を含む先進国では、人や社会が求める「価値ある何か」は「モノ」から「コト」に変化したといわれています。その「価値あるコト」は「愉しい」「ラク」「快適」「便利」「簡単」といった価値観にフィットするコトであったように思います。

それが21世紀に入り、地震、台風といった相次ぐ想定外の災害の中で「安心」「安全」が「価値あるコト」として求められるようになりました。今回のコロナ禍で「安全」「安心」はより多くの人がより強く求める「価値あるコト」になるのだろうと思います。

同時に、コロナ禍の中で「価値あるコト」として株を上げる、「安全」「安心」とは別の価値観、概念もあるように感じています。コロナ禍の中で株を上げてくる「安全」「安心」以外の価値。私は、S社が内包している価値観の幾つかは、コロナ禍の中で株を上げてくる「安全」「安心」以外の価値ー例えば「地方」や「分散」-と重なるんじゃないかな、と思っています。

 

 

 

 

 

お布施と対価

立ち上がるや否やコロナ禍に突っ込んだS社。

S社はテクノロジーベースの大学発ベンチャーなのでこの1年間は、大学のバックアップを受けてチームビルディングと技術開発に注力するはずでした。

が、状況は大きく変化し、コロナ禍での経済的自立が必要に。焦る私は、時間をかけて立ち上げるつもりだった構想をいますぐ現金化できないか画策し始めます。

 

ですが私の職歴は企業の研究開発/企画/管理部門&特許/法律事務所。殿様商売しか知らず、脱サラしてフリーランスになってからも「お布施モデル」を理想とし、まともな営業活動の経験はありません。ちなみに「お布施モデル」というのは私が勝手に言ってるビジネスモデルです。お布施は本来は額は決まっておらず、お経をあげてもらった人が感じる価値・払える額を払えばよい、ということになっています。私は自分が提供したサービスに対してはお布施を頂くように、サービスを提供した相手が受け取った価値を払ってもらうのがいいと思っていました。

その「理想」がいかに世の中一般とずれているかは知らなくもなかったのですが、個人事業として自分がやりたいことをやり、それが喜ばれてお金も入ればいいや、という状況ではその理想を是正する必要はありませんでした。

 

そんな私が、「今の需要」とは別の需要、「今の需要」を支えている価値観とは別の価値観で構想した「未来のビジネス」でこの状況下、顧客を得ようとするなんざ、、、。我ながらなんて滅茶苦茶なんだと思っても、もうこういう機会だからやってみるしかない。ということで、何人かのご意見を伺う中で問われたのは「提案先企業のメリットは何?」。

「お布施モデル」が理想と信じている私は、どういう価値やメリットが欲しいかは受けて(買い手)が決めるから、提案する側は自分がどんなことができるのかどういうことをしようとしているかを説明すればいいんじゃないの?と思っていました。

ですがこの状況で「提案先のメリットは?」と聞かれ、初めて、そうか、自分が受け手(相手)の立場だったらどんな価値が欲しいか考えることは必要だな、ということに気が付いたのです。

 

ついでに、私は2000年代初めから社外有志の勉強会などに出かけていました。そこは、誰かが面白そうなことをしていて自分も入りたいと思ったら、自分はどんな貢献ができるのかを自分で探し出すべし、自分から「こういうことができる」と動くべし、という文化でした。ですから、自分の構想が面白くてそれに賛同してくれる人は、「いいね!じゃ、自分はこういうことするよ!」「こうしたらいいよ」など、前進する何かをしてくれるものだと思っていました。自分の語る未来のビジネスが魅力的であれば誰か手伝ってくれるもんだ、くらいに思っていました。

・・・こうして書いてみると本当に私は”ビジネス知らないお子様”だって自分でも思います(笑)。

お子様なので、構想を提案していいね!と言ってくれるのに何してくれるではない、という反応にがっかり。なんで何もしてくれないの?と思い、そこでハタと気づいたのです。

 

私がいま、この段階で提案してる人は、その人やその所属組織に何かの魅力を感じて一緒にやってほしいと私が思ってるから。ってことは、私がまず、提案先の人なり組織なりにどんな魅力を感じ、どんな貢献をしたいと思ってるかを示すのが先じゃないか。

「あなたたちのこういう活動に魅力を感じています。」「私たちがやりたいこと、できることがその活動に貢献できるかどうか、考えたいので、もっとその活動のことを教えてください。」「私たちがやろうとしているこういうことは、その活動に貢献できるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。」

 

そうか、そうなんだ。私のここまでの提案は、提案先を「お金の出し手」としか見てなかったぞ、そうじゃなくて、提案先は私が惹かれる相手。惹かれる理由はお金を持ってるからではなく、素敵な事業をやってるから。私は私たちの事業活動をすることで相手のその素敵な事業に貢献したい。対価は、相手もこちらも一緒に得るもの。お金をもらおうとする営業は私にはツライけれど、自分たちの事業活動をすることで、一緒にやりたいと思う相手の素敵な事業活動を手伝いたい、という気持ちで提案することなら、愉しめる。

提案を考えること、提案を示すことは、お互いを知るためのコミュニケーション。そう気づいて、お金をもらおうとする苦しさから脱せて、心が軽い週末。

 

 

緊急事態宣言と新事業創造;2020年4月8日

新型コロナウイルスの感染拡大を受けた緊急事態宣言発令初日。

私は一昨日、大阪のある地域の中小企業の新人研修の講師をしていました。集合研修。

その1週間前の3月末、新型コロナウイルスの感染拡大が危機的状況を迎えているとの情報を受け、新人研修のオンライン実施を提案しました。ところが返ってきた答えは「wifiがないため、オンラインは無理」。

中小企業に限らず、結構な大手企業でも在宅勤務ができる環境が構築できていないという企業もあるようで、緊急事態宣言発令後も職場に通うオフィスワーカーも少なくない模様。3月初めから学校は休校になり、3月末にはちょっと調べればさらに強い感染拡大防止措置が必要な局面に入っていることは予想できただろうに、、、。

 

話は少し変わるのですが、私は20年来、特許専門職として新事業創造に携わってきました。仕事というのは、多くは、現に今、求められている商品やサービスを提供すること、つまり「今の需要に応えること」です。が、新事業創造という仕事は、今、求められている商品やサービスとは違う商品やサービスを提供する方策を見つけ出すことです。「今、求められている商品やサービスとは違う商品やサービス」というのは、今、求められている商品やサービスの不具合を修正、改善したものの場合もあります。けれども、モノが溢れ、価値観が変化している今の日本や先進国で求められているのは、「今、求められている商品やサービスとは軸・コンセプトが全く異なる商品・サービス」、要は”イノベーティブ”と評される商品やサービスです。

 

私はイノベーションの創出が求められる仕事に従事してきたため、今の社会の”地下”に胎動している「今とは違う、けれど、多くの人が心のどこかで求めている価値」を見出そうとする癖がついています。つまり「今の需要」「今の社会」「今の価値観」とは全く異なる価値、10年後や20年後に求められるであろう価値を探す。それは、これまでの社会の価値観で提供されてきた価値とは”別”の価値だったりします。

2016年から本格化した働き方改革、そしてこのコロナ禍で脚光を浴びるようになった「リモートワーク」「時間と場所の制約がない働き方」。こうした働き方は共働きが当たり前、ITを使いこなす若い世代に広まっている働き方で、彼らの価値観は、今までの働き方を是としてきた中高年の価値観とは同じではありません。

 

イノベーションというのは、またはレジリエンスのある社会、あるいは「多様な社会」というのは、「今の当たり前の働き方」とは「別の働き方」を用意しておくように、「今の価値観」とは”別の価値観”を用意しておくこと、”別”の価値観をちゃんと内包しておくことからできていくのではないかと思います。

けれども実際には、この20年余り日本社会は”今の需要”に応えてお金を稼ぐことばかりを優先し、”別”の価値観で動く社会を構築することに注意を払ってこなかった。「今の需要」の地下にうごめく「別の価値観」を語っても、返ってくるのは「1年後、どんな成果が出るの?3年後、どうなってるの?パラダイムが代わってるってのはそうかもしれないけど、じゃあ、そのために何やるか、抽象的すぎてわかんないよ」という反応。私は何度もこういう反応にがっかりしてきました。「別の価値観」を探し求める者は時として「別の価値観」を「今の需要」とどうつなげればよいか分からず、「今の需要」を知る人の協力が欲しかったりするのです。

 

最近、私は「今の需要」で生きている人に「別の価値観」をわかってもらう努力が足りなかったと思うようになっています。今の需要に応えればその対価が支払われます。でも世界最高級の品質が当たり前の昨今の日本社会では、対価を得るだけの商品・品質を提供するプレッシャーが「今の需要」に応える多くの人を苦しめている。それもわかるようになってきました。「今の需要」に応える苦しさを抱えている人は、「今の需要」とは別の価値観、それに応えるイノベーティブな商品やサービスを探す人を手伝う余裕はないだろう。

 

けれどもやっぱり、”別”の価値観で動く経済活動、社会を用意しておくことは、「今の需要」「今の当たり前」が変わってしまう場合に備えて必要なんだ。「今の需要」「今の当たり前」の横に「別の需要」「別の当たり前」を備えておく。その「備え」は、地震、台風、感染症など、予測不可能な災害が頻発する今、そしてこれからは絶対に必要。

 

私は今、コロナ禍の船出となったS社の資金繰りで頭がいっぱいです。

S社はこれまでの、そして今の社会、世界を席巻してる価値観とは「別の価値観」で動く経済活動、社会を構築しようとしています。コロナ禍が「今の需要」を凍らせているまさに今、「別の価値観」で動く産業エコシステムを構築したい。その訴えは、どのくらいの「今の需要」で動いてきた企業、人に届くのか。それは多分に、私が「別の価値観」をわかってもらう努力をどこまでできるかにかかっているのだろう。

 

コロナ禍の中で

2020年4月1日。

FacebookでS株式会社の代表取締役を務めていることをカミングアウト。

会社を設立したのは2020年1月15日。この会社に関わることになったのは2019年7月3日。

 

9か月近くもごく限られた人にしか、S株式会社というK大発ベンチャーに関わっていることを話してこなかったのは、私はただ、企業を設立できない(兼業しかできない)大学教員に代わって「名前だけ社長」をやってあげるつもりだったから。

2020年4月1日にカミングアウトしたのは、代表取締役としての責務を果たすという覚悟を決めたから。

 

S株式会社の設立に関わり始めて以降、会社設立を目指す限られた人々との協働が面白く、Facebook上の「弱いつながり」を相対的に軽んじるようになっていた。けれどもFBで代表取締役を務めていることを知らせた途端、休眠していた「弱いつながり」は、その「強さ」をあらわにした。

活性化したFB上の「弱いつながり」の中のコミュニケーションを通じて、私は、コロナ禍でS株式会社の代表取締役を務めることは、私が覚悟を決めた時、そして今も、想定していなかった困難を引き受けることになるだろうということを薄々、感じ始めた。

 

まったく先が見えない社会・経済状況の中で航海に出るS株式会社。

嵐が収まる日まで、荒れ狂う経済の海の中でS社が目指す針路を誤らないよう、ブログを書こうと思います。

 

このブログは、不安ですでに泣きそうな私が、この嵐の中でS社を導く光を見出して自分を安心させ、元気づけるための書き物です。

嘘がないこと。自分に正直であること。それが私を導く光。

思うままに、書くべきことを書きたい文体で書いてみよう。